数日前
1都3県への緊急事態宣言が出て、ここ宮崎でも一日のコロナ感染者数が100を超えた。

この日、九州では福岡に次ぐ2番目の感染者数。それを目の当たりにすると急に緊張が走った。

「急に緊張感が走った」のは、まだどこか他人事のような感覚が残っていたからなのだろう。
この人数が人から人へと伝染していくと考えると、外へ出るのを控えたいと思うのが心理。

一刻も早い終息を願い、自分事として備え、そしてこの状況に何ができるのかを改めて考えなければならないと感じた。

 

「残す」と「配る」

 

以前から考えていることがいくつかあって、そのひとつひとつになかなか答えが出せなかった。
その中のひとつがこの言葉で、ようやくたどりついたのが12月あたり。

来年の目標は何にしようかと考えている時だった。

ひも解いていくとその12月よりも少し前のこと、ある話を聞きながら僕の頭の中が少し整理される瞬間があった。
そして、今も頭の中を整理している最中なのだけれど、だんだんと整理されてきている。

 

このブログを再開した時に、
再開の理由に「今を残す」という言葉を書いた。

年齢を重ねていくとそういう感覚になっていくのか、少し前から「何をどう残していこうか」ということを考えるようになった。

以前は「新しい何かを生み出す」みたいなことばかり考えていた、もちろんそれは今も全く考えていない訳ではない。

ただ今は、
生み出すことよりも、何をどう残しながら前に進んでいけばいいのか、ということを考えるようになっている。

文章だけの話であれば、
紙とノートを用意して「日記」を書けばいいんじゃない?と思うかもしれない。けれど、「残す」だけではない感情がそこにはある。

その感情を言葉にしたものが「配る(配りたい)」だった。

今の自分は今しかない、この時間、その瞬間に感じてること、考えていることを残し、それを伝える。
そうしたいという思いがゆっくりと鮮明になっていく。

自身の理由でブログを書かなくなって5年、まだ心の中ではもやもやとした思いを巡らせている中、今はそんな気持ちだ。

そんな折、
また別の言葉と出会った。

 

「人は二度死ぬ、一度目は身体的な死、二度目は記憶から消えていく死である。
そして、たとえ自分が死んだとしても、自分の生み出した作品は残すことが出来る。」

 

「人は二度死ぬ」という言葉は聞いたことがあった。
それに続く言葉に強く心を打たれたことが印象的だった。

作品をつくることを生業にしている人は、少なくともその思いが僕らよりあるのではないかと改めて感じた。
とはいえ、今すぐに僕自身が何かの作品づくりを始めるということではない。

今の僕が作品を生み出すことで生計をたてているのであれば、既に始まっていることなのかもしれないが、そうではないし、
生業としているのであればそんな感情はもうとっくに持っているはずだ。

今すぐにでも「何かをつくりたい」といった思いはないけれど、今後、何かをつくりたいという思いはある。

この「残す」と「配る」という言葉をテーマにしつつ、今を少し前進していきたいと思っている。

 

最後に個人的な紹介を
僕はtwitter(@sprsunnydayjp)と、facebook
instagram(@sheepeaceful @sheepthink)をやっています。

そして、
妻がおおまえ布店という「布と雑貨を扱う小さなお店」を営んでいます。

現在は「さしことこぎん展」という企画展を開催中(instagram (@faboomae))ですが、このコロナ過の状況で今後の営業はどうなることか。

少しずつ伝える事をしていこうと思っているので、興味がある方はフォロー等よろしくお願いします。

 

世の中の状況があらゆる方向で影響する時代。
今出来ることを自分なりに始めています。

それではまた次回。