秋の西都原といえば古墳祭り

先日の日曜にひとりドライブ、宮崎市内から30分ほどすればこの日の目的地西都原古墳群に到着です。
そして結果を言うと「間違った~」です。
途中まで全然気づかずに車を停め、祭りです、さすが祭りだ、祭りだ、駐車場はコミコミです。

西都原古墳群駐車場

西都原に来ると必ず最初に行くのがトイレ。
トイレはこのはな館の南側、写真でいうと左側の方にあっていつも綺麗にしてあります。

このはな館

このはな館の中も地元の特産品などたくさんあって、奥の方は食事できるスペースもあります。ちょっと休憩してもいいし、トイレの後はふらっと立ち寄っちゃいます。

このはな館

このはな館を出て、さぁ祭り!と思ったけど、その前にまわりをぐるり散歩しました。このはな館の奥には広場があります。

西都原古墳群

広場の通り入口左に「特別史跡西都原古墳」と掘られた石碑があります。

西都原古墳群

そしてその右側に縦看板があって「記紀(きき)の道(男狭穂塚(おさほづか)と女狭穂塚 (めさほづか))」の説明が、そうなんですよね、西都原古墳群なので古墳なんですよね。
今まであんまり歴史的なことに触れずに西都原を訪れていたんですが少し触れながら歩いてみようと思いまず看板をじっくり読みました。

ニニギノ尊、コノハナサクヤ姫が眠ると言われる

ここ数年、宮崎では記紀編纂(へんさん)1300年とかって言葉を耳にしてたんですが、記紀って、古事記(記)、日本書紀(紀)だったんですね、そんなことも知らなかったんです。そこから名付けられた「記・紀の道」が西都にはあるんですね。

そして、男狭穂塚(おさほづか)と女狭穂塚 (めさほづか)は、男狭穂塚(おさほづか)がニニギノ尊が、女狭穂塚 (めさほづか)はコノハナサクヤ姫が眠ると言われている古墳だということ、これも恥ずかしながらちゃんと理解はしてなかったんです。恥ずかしいけど今更ながら知れて良かった気も少々。

西都原古墳群

左右の石碑と看板の間の通りを進んでいくと、中央に赤い屋根の社がみえてきます。

西都原古墳群

どんどん近づきますよ。

西都原古墳群

中まできました、ん?でも何もない、、
奥にを見ると縦看板が、、、

西都原古墳群

女狭穂塚陵墓参考地と書いてあります、そして宮内庁とありますね、宮内庁が管理してるんですかね。

西都原古墳群

右側に石板があったので見ていると現在地がこのあたりです。
男狭穂塚も、女狭穂塚も、前方後円墳ですね。前方後円墳、小学校だったか中学校だったか歴史の教科書以来の響きがなつかしい。

ってことは、あの「女狭穂塚陵墓参考地 宮内庁」の看板の奥のこんもりしていた部分が女狭穂塚の前方部分ってことですね、これはよくよく考えると大きい。
西都原古墳群は車を走らせていくとあたりに古墳が点在して、雰囲気で古墳があるな~と分かるんですが、あそこは普通の山だと思ってました。古墳だったんですね、これはデカいな。

西都原古墳群

どちらも全長100m超えです。
女性の古墳が大きいのはいつの時代も女性が強かったんでしょうか、、
そしてやはり宮内庁の管轄下なんですね。

西都原古墳群

西都原古墳群の事、知っているようで全然知ったかぶりだったみたいです。
少しだけ歴史に触れて勉強になりました。

そして、そんなこんなで散歩が長くなっちゃって、祭りの様子はまた次回紹介します。